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神戸地方裁判所 昭和60年(ワ)1492号 判決 1990年6月15日

原告

宮時正和

被告

株式会社母倉工務店

ほか一名

主文

一  原告の被告らに対する請求を、いずれも棄却する。

二  訴訟費用は、全て原告の負担とする。

事実

以下、「被告株式会社母倉工務店」を「被告会社」と、「被告田町良介」を「被告田町」と、各略称する。

一  当事者双方の求めた裁判

1  原告

(一)  被告らは、原告に対して、各自金六一二万九二〇〇円及び内金五一二万九二〇〇円については昭和五八年四月三〇日から、内金一〇〇万円については平成二年六月一六日から、いずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は、被告らの負担とする。

(三)  仮執行宣言。

2  被告ら

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告の負担とする。

二  当事者双方の主張

1  原告の請求原因

(一)  別紙事故目録記載の交通事故(以下、本件事故という。)が発生した。

(二)(1)  本件事故は、被告田町の前方不注視の過失により発生した。

(2)  被告田町は、本件事故当時被告会社の従業員であつたが、右事故当日午前九時頃、右会社の専務取締役訴外母倉操(以下、単に母倉操という。)の指示どうり、被告車を運転して同人を同人の自宅(神戸市灘区徳井町五丁目一番九号)まで迎えに行き、右会社の業務である建築請負のため訴外永田酒店から紹介された顧客宅に赴く同人を同乗させて、ともに同市東灘区北青木の右顧客宅に赴いた。

被告田町は、母倉操が右客宅で商談を済ませた後、同人を再び同人の自宅に送るべく同人を被告車に同乗させ右車両を運転して本件事故現場付近に至つたところ、同人から、「ここを右折せよ。」と指示された。

そこで、被告田町は、母倉操の右指示にしたがい、被告車を右折させたところ、本件事故が、発生した。

右事実関係から明らかなとおり、被告会社は、同会社のために被告車を運行させその運行中に本件事故が発生したものであるし、もしくは、同会社従業員である被告田町が同会社の事業の執行につき右車両を運転していて右事故を発生させたものである。

(3)  よつて、被告田町には、民法七〇九条により、被告会社には、自賠法三条、もしくは民法七一五条により、各自原告が本件事故により被つた本件損害を賠償する責任がある。

(三)  原告の本件事故による受傷内容及びその治療経過は、次のとおりである。

(1) 頭部外傷Ⅰ型、右下腿骨骨折、右腓骨神経麻痺。

なお、原告の右腓骨神経麻痺は、同人が本件事故によつて受けた右腓骨の亀裂に起因するものであり、仮にそうでないとしても、同人が右事故により腰部を強打したため、これに起因して発生したものであり、いずれにしても右事故による受傷であることには変わりはない。

(2) 西外科胃腸科病院(以下西外科病院という。) 昭和五八年四月二九日から同年五月一日まで通院(実治療日数二日)。

同年五月二日から同月七日まで入院(六日間)。

増田整形外科 昭和五八年五月七日から同年六月一三日まで入院(三八日間)。

同年六月一四日から同年一〇月二五日まで通院。

同年一〇月二六日から昭和五九年三月二七日まで入院(一五四日間)。

同年三月二九日から同年六月二五日まで通院。なお、同病院における右二回にわたる通院期間中実治療日数は、通算一五〇日。

神戸労災病院 昭和五九年六月二六日から同年一〇月二三日まで通院(実治療日数八〇日)。

同年一〇月二四日から現在まで通院。

(四)  原告の本件損害

(1) 入院雑費 金一三万七二〇〇円

入院期間一九六日につき一日金七〇〇円の割合。

(2) 通院交通費 金一三九万二〇〇〇円

通院回数二三二回につき一回金六〇〇〇円の割合。

(3) 休業損害 金二〇〇万円

(a) 原告は、本件事故当時、訴外駒姫交通株式会社にタクシー運転手として勤務し、右事故直前における支給賃金手取額は、一か月平均金二一万四〇三〇円(昭和五八年二月から同年四月までの右手取額の合計額金六四万二〇九一円の平均額。)であつた。

(b) 原告は、本件事故当日の昭和五八年四月二九日から昭和六一年一〇月三一日までの四六か月の内昭和五九年五月一日から同年六月六日までの約一か月の就労期間を除く四五か月本件受傷治療のため休業した。

(c) 右各事実を基礎として、原告の本件休業損害を算定すると、次のとおりとなる。

ⅰ 原告の本件事故当時の一か月の平均賃金金二一万四〇三〇円の四五か月分は、金九六三万一三五〇円である。

ⅱ 原告は、右事故後被告らから合計金三五二万円を受領している。

ⅲ 右金九六三万一三五〇円から右受領金合計金三五二万円を控除すると金六一一万一三五〇円となるところ、その内金二〇〇万円を本件休業損害として請求する。

(4) 慰謝料 金一六〇万円

原告の本件受傷内容、その治療期間等は、前記のとおりであり、右各事実に基づけば、原告の慰謝料(傷害分)は、金一六〇万円が相当である。

(5) 弁護士費用 金一〇〇万円

(6) 以上、原告の本件損害合計額は、金六一二万九二〇〇円となる。

(五)  よつて、原告は、本訴により、被告らに対して、各自本件損害合計額(ただし、本件損害総計額の内金。)金六一二万九二〇〇円及びこれに対する弁護士費用金一〇〇万円を除いた内金五一二万九二〇〇円については本件事故日の翌日である昭和五八年四月三〇日から、弁護士費用内金一〇〇万円については本判決言渡日の翌日である平成二年六月一六日から、いずれも支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する被告らの答弁及び抗弁

(一)  被告会社

(1) 答弁

(a) 請求原因(一)中別紙事故目録記載の日時場所において、被告田町運転母倉操同乗の被告車と原告運転の原告車との間で、被告車の右折をめぐり紛争が生じたことは認めるが、同(一)のその余の事実は全て否認。被告車と原告車とは、本件現場において衝突は勿論全然接触すらしていない。したがつて、本件事故は発生していない。右事故は原告の自損行為である。即ち、被告田町は、右事故直前、被告車(同人所有)を右現場車道センターライン左側(被告車の進行方向を基準。以下同じ。)で一旦停車させ右折の合図を出して原告車の通過を待つていた。ところが、原告車が本件現場に至たる道路右寄りを高速のうえ前方不注視で進来し、停車している被告車の右前方で一方的に転倒したものである。同(二)中被告田町が本件事故当時被告会社の従業員であつたこと、母倉操が当時同会社の専務取締役であつたこと、被告田町が本件事故当時母倉操を同乗させ被告車を運転していたことは認めるが、同(二)のその余の事実は全て否認し、その主張は争う。なお、被告会社が本件事故について自賠法三条は勿論民法七一五条による責任を負うものでないことは、後記主張のとおりである。同(三)中原告が本件事故により受傷したこと、同人が右事故直後西外科病院で診察を受けたこと、同診断内容が右下腿骨骨折であつたこと、同人がその後増田整形外科に昭和五八年五月七日から同年六月一三日まで入院したことは認めるが、同(三)のその余の事実は全て不知。同(四)(3)(b)中原告が本件事故当時訴外駒姫交通株式会社にタクシー運転手として勤務していたこと、同人が昭和五九年五月一日から同年六月六日まで右会社で右勤務に従事していたこと、同(3)(c)ⅱの事実は認めるが、同(四)のその余の事実及び主張は全て争う。同(五)の主張は争う。

(b)ⅰ 本件事故当日の昭和五八年四月二九日は祝日であり、被告会社の業務は、休止していた。母倉操と被告田町は中学時代の同級生であつたところ、母倉操は、右同日、前記のとおり被告田町の運転する被告車に同乗させてもらつて所用を済ませ、その後近くにあるゴルフの打撃練習場に赴く途中本件事故現場に至り、被告田町において右車両を右折させるべく一時停車している内右事故が発生した。

右事実から明らかなとおり、被告会社は、右事故に関して自賠法三条所定の運行供用者に該当しない。又、本件事故は、前記のとおり原告の一方的過失に基づく自損行為によつて発生したものであるし、被告会社の業務とは無関係に発生したものであるから、被告会社には、右事故に対して、民法七一五条に基づく責任もない。

ⅱ 原告は同人の右腓骨神経麻痺も本件受傷内容の一つである旨主張している。

しかしながら、右傷病と本件事故との間に相当因果関係がない。

原告が西外科病院で右下腿骨骨折の診断を受けたことは前記のとおりであるが、同骨折も、同人の右膝下一〇センチメートル付近に骨折の疑いがあり、それは亀裂骨折程度のものに過ぎず、相当軽微のものであつた。事実、同人は、本件事故後右病院内を自ら立ち歩いて電話を掛けたりしていた。原告は、右病院における受診の際、担当医師に対して、当該神経麻痺の訴も本件事故により腰部を打撲したとの訴もしていない。このことからすれば、原告の当該神経麻痺は、同人の持病である腰痛から来るものであつて、本件事故とは無関係と考えるのが妥当である。

更に、原告が増田整形外科に入院(昭和五八年五月七日から同年六月一三日まで)したことは前記のとおりであるが、右病院における右治療期間中、同人の治療傷病名に右腓骨神経麻痺なる傷病名は存在しなかつた。加えて、右病院の右入院期間内における原告の看護記録には、「特訴なし」「特変なし」の記載が五八か所もあり、しかも、右看護記録には、同人が右病院を退院する間際にも「特に変わつたことなし」と記載されている。

元々原告の本件事故による受傷内容は、三〇日で完治する程度のものであつた。

即ち、原告を本件事故直後に診察した西外科病院医師西元康は、原告の右事故による受傷を右事故当日から起算して約三〇日で完治すると診断していたし、同人に対し施したギブスシーネも長くて三週間短い場合二週間で取れると判断していた。

以上の各事実から、原告主張の右腓骨神経麻痺と本件事故との間には、前記のとおり相当因果関係はないというべきである。

(2) 抗弁

仮に、被告会社に本件事故に対する責任が認められるならば、次のとおり主張する。

(a) 原告は、本件事故直前、自車進路前方の見通しが悪い本件事故現場付近に差し掛かつたのであるから、進路前方を注視し、少なくとも被告車を発見すれば何時でも安全に停止できる状態で進行すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り漫然高速で自車を進行させた過失により本件事故を発生させた。

(b) 原告は、前記西外科病院に入院中医師西元康の指示にしたがわず、しばしば無断外出し、被告田町に命じて、殆ど毎日同人の車両で右病院と原告の肩書住所地所在自宅間を往復送迎させる等の行為に及び、増田整形外科に転入院後も医師の指示を無視する行動を採り続け、原告の本件受傷である右下腿骨骨折は、本来ならば短期間で癒着完治していたものを、自らの過失により悪化させた。

(c) 原告の、本件事故発生及び損害の拡大に関する右過失は、同人の本件損害額算定に当たり斟酌されるべきである。

しかして、右斟酌されるべき原告の右過失の割合は、七〇パーセント以上が相当である。

(二)  被告田町

(1) 答弁

請求原因(一)、(二)に対する答弁は、被告会社と同じ(ただし、被告会社の答弁(b)ⅰを除く。)。昭和五八年四月二九日は祝日で、被告会社も被告田町もその業務を休んでいた。被告田町と母倉操は、中学時代の同級生であつた関係上日頃より親しくしていた。被告田町は、本件事故当日ゴルフの練習に行くつもりであつたところ、母倉操からもゴルフに行こうと誘われた。そこで、被告田町は、右当日朝、同人所有の被告車を運転し、母倉操の自宅まで同人を迎えに行つたところ、同人から、ゴルフに行く前に神戸市東灘区まで乗せて行つて欲しい旨依頼されたので、これに応じて右同所まで赴き、その後、ゴルフに行く途中で本件紛争が発生した。同(三)、(四)の各事実は全て不知。同(五)の主張は争う。

(2) 抗弁

仮に、被告田町に本件事故に対する責任が認められ、原告に本件損害が発生したとしても、原告には、その治癒態度によつて本件受傷を悪化させた過失がある。

(3) 抗弁に対する原告の答弁

被告会社の抗弁(a)中本件事故が本件事故現場で発生したこと、同(b)中原告が本件事故後西外科病院に入院しその後増田整形外科に転入院したことは認めるが、被告らの、その余の抗弁事実は全て否認し、その主張は争う。

三  証拠関係

本件記録中の、書証、証人等各目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  原告の被告会社に対する本訴請求

1(一)  請求原因(一)中別紙事故目録記載の日時場所において被告田町運転母倉操同乗の被告車と原告運転の原告車との間で被告車の右折をめぐり紛争が生じたことは、当事者間に争いがない。

(二)  成立に争いのない甲第九号証、第一四号証、第一七号証の一ないし九、第一八号証、第二四号証、証人母倉操の証言、原告本人、被告田町本人の各尋問の結果(ただし、右証人、被告田町本人の右各供述中後記信用しない各部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すると、被告田町が、本件事故直前、被告車を運転し本件事故現場に至る道路左側(被告車の進行方向を基準。以下同じ。)を南方から北方に向け進行させ本件事故現場付近に至つた際右道路から北東に向け分岐している道路に向け右折させたこと、右車両が、その前部を北東に転じて、右側前部を反対車線(それまで進行して来た道路の右側車線。)へ右道路のセンターラインから約一・九メートル突出させたこと、丁度その時、原告車が、右反対車線を北方から南方に向け進来し、右車両の前輪部が突出した被告車の右側前部付近に衝突し、本件事故が発生したことが認められ、右認定に反する、証人母倉操の証言により真正に成立したものと認められる甲第二七号証(同人の陳述書)の記載内容部分、被告田町本人の供述により真正に成立したものと認められる乙第四号証の一(同人の陳述書)の記載内容、証人母倉操、被告田町本人の各供述部分は、前掲各証拠と対比してにわかに信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  右認定各事実を総合すると、原告主張にかかる本件事故が発生したというべく、右認定説示に反する被告会社の主張は、全て理由がない。

2  そこで、被告会社の本件事故に対する責任の存否について判断する。

(一)  請求原因(二)中被告田町が本件事故当時被告会社の従業員であつたこと、母倉操が当時同会社の専務取締役であつたこと、被告田町が本件事故当時母倉操を同乗させて被告車を運転していたことは、当事者間に争いがない。

(1) 自賠法三条関係

(a) 被告会社が自賠法三条に基づき被告車の運行供用者として本件事故に対する責任を負うには、右会社が右事故当時右車両に対する運行支配(なお、右法条の適用に際し問題とされる運行利益は、運行支配を判断するうえでの一徴憑に過ぎないと解するのが相当である。)を有していたことを必要とするところ、本件において、右要件に該当する事実を認めるに足りる的確な証拠がない。

(b) かえつて、前掲甲第二七号証、被告田町本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一三号証、証人母倉操の証言、被告田町本人の右供述(ただし、前掲甲第一四号証、右甲第一三号証の各記載内容中、被告田町本人の右供述中、後記認定に反する各部分はにわかに信用できないから、その各部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すると、本件事故当日の昭和五八年四月二九日は祝日で、被告会社の業務は全て休止され、右会社の従業員は誰も出社していなかつたこと、被告田町は、当時右会社営業課長として右会社の営業関係業務に従事しており、右会社から右業務用車両一台(車両の色は、薄茶色。)を与えられていたこと、母倉操と被告田町は、中学時代の同級生であつた関係上公私にわたつて親しく交際していた仲であつたこと、母倉操が、本件事故日の前日昼頃、被告田町に対して、休日である翌二九日の予定を尋ねたところ、同人が別に予定はない旨応答したこと、そこで、母倉操が、被告田町に対して、青木(神戸市東灘区青木を指す。)の方に寄つてからちよつとゴルフの練習にでも行こうかと誘つたこと、被告田町が、この誘いに応じたこと、被告田町が、本件事故当日午前九時過ぎ頃、同人所有の被告車(車両の色は、白色。)を運転して母倉操の自宅まで来たこと、母倉操が右自宅を出発する際同人所有の車両で行こうといつたところ、被告田町が、これに対し、近くだし被告車で行こうと答えたこと、そこで、母倉操も被告車に同乗して出掛けることになつたこと、被告車が、同日午前一〇時頃、母倉操の訪問予定先であつた神戸市東灘区青木へ到着したこと、同人が同所で面談したのは、同人が、予て訴外永田酒店より家屋建築を希望しているから一度会つて欲しい旨要望されていた人物であつたこと、母倉操としては、当日の右人物との面談は初対面であるし挨拶程度で一〇分か二〇分で済むであろうと予測していたこと、母倉操は、右人物に対して、被告会社の経歴等を話し、もしご縁があるならその節はよろしくと挨拶をし、後は雑談をしたこと、母倉操は、右人物との面談をこの程度で切上げ、それ以上の建物建築請負に関する具体的話には入らず、右人物宅を辞したこと、その間の所要時間は約二〇分であつたこと、母倉操と被告田町が、右面談の後、一旦母倉操宅に帰つてからゴルフの練習に出掛けようと相談したこと、そこで、母倉操は、同日午前一〇時二〇分頃、再び被告田町が運転する被告車に同乗して母倉操宅に帰るべく、右青木を出発したこと、右帰宅途中、被告車が本件事故現場に至つた際、右事故が、前記認定の経緯で発生したこと、母倉操は、被告田町において道路事情に通じていたので、右事故現場に至るまでは勿論右現場付近に至つた時にも、被告田町の運転に対して何ら指示をしていないことが認められ、右認定各事実に照らしても被告会社が本件事故当時被告車に対する運行支配を有していたとは、未だこれを肯認するに至らない。

むしろ、右認定各事実を総合すると、被告田町が本件事故当時被告車に対する運行支配を有したというのが相当である。

(c) そうすると、原告の、被告会社は自賠法三条に則り本件事故に対する責任があるとの主張は、右法条所定のその余の要件事実の存否につき判断するまでもなく、右認定説示にかかる、被告会社と本件運行供用者との関係の点で、既に理由がないというべきである。

(2) 民法七一五条関係

(a) 被告会社が民法七一五条に基づき本件事故に対する責任を負うには、先ず、右会社の従業員であつた被告田町の本件事故を惹起した本件運転行為が、右法条の所定にしたがい、右会社の事業を執行するに付き行われたことを要する。しかして、被用者の当該行為が右法条所定の事業の執行に付きに該当するか否かは、被用者の右行為が、客観的、外形的に使用者の事業の範囲に属し、かつ、被用者の職務行為と認められるか否かによつて決せられると解するのが相当である。

(b) ところで、原告は、請求原因(二)(2)において主張する各事実に基づき、被告田町の本件運転行為が被告会社の事業執行に付き行われた趣旨の主張をする。

しかして、原告の右主張事実にそうかの如き証拠として、僅かに前掲甲第一三号証の記載部分、被告田町本人尋問の結果の一部があるが、右文書の当該記載部分、被告田町本人の右供述部分は、後記各証拠及びこれらに基づく認定各事実に照らしてにわかに信用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(c) かえつて、前記2(一)(1)(b)で掲記した各証拠に基づくと、右同所で認定した各事実が認められ、右認定各事実に照らしても、原告の前記主張は末だこれを肯認するに至らない。蓋し、右認定各事実を総合して認められる事実関係に照らすと、被告田町の本件事故を惹起した本件運転行為は、客観的、外形的に末だ被告会社の事業の範囲に属し、かつ、被告田町の職務行為とも認め得ないというのが相当だからである。

(d) そうすると、原告の、被告会社は民法七一五条に則り本件事故に対する責任があるとの主張は、右法条所定のその余の要件事実の存否につき判断するまでもなく、右認定説示にかかる被告田町の本件運転行為と被告会社の業務執行の関係の点で、既に理由がないというべきである。

3  以上の認定説示に基づくと、被告会社の本件事故に対する責任は、原告のこの点に関するいずれの主張によつても、これを肯認するに至らない。

よつて、原告の被告会社に対する本訴請求は、原告のその余の主張について判断するまでもなく、右認定説示にかかる右会社の責任の点で、既に理由がないことに帰する。

二  原告の被告田町に対する本訴請求

1(一)  請求原因(一)に関する当事者間に争いのない事実は、原告と被告会社間の場合と同じである。

(二)  本件事故発生までの経緯、その態様、右事故が原告車と被告車との衝突により発生したものであることは、前記一1(二)で認定したとおりであるから、右認定各事実をここに引用する。〔ただし、同所に掲記した甲各号証(甲第二七号証を除く。)はいずれも公文書であるから真正に成立したものと推定されるし、同所で排斥した証拠及びこれに対する判断も、同じである。〕

(三)  右認定各事実を総合すると、原告主張にかかる本件事故が発生したというべく、右認定説示に反する被告田町の主張は、全て理由がない。

2  そこで、被告田町の本件事故に対する責任の存否について判断する。

(一)  請求原因(二)に関する当事者に争いのない事実は、原告と被告会社間の場合と同じである。

(二)  前記二1(二)掲記の各甲号証(ただし、甲第二七号証を除く。)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、被告田町は、本件事故直前、右事故現場付近に至り被告車を右折させようとしたが、その際同人には対向車両との安全を確認して自車を右折進行されるべき注意義務があつたのにもかかわらず、同人において、これを怠り対向車両との安全を確認しないまま自車を時速約五キロメートルの速度で右折進行させた過失により、右事故を惹起したことが認められ、右認定に反する、前掲甲第二七号証、同乙第四号証の一の各記載内容、証人母倉操、被告田町本人の各供述部分は、右各証拠と対比してにわかに信用することができない。

(三)  右認定説示に基づくと、被告田町には、民法七〇九条に則り、原告が本件事故により被つた損害を賠償する責任があるというべきである。

右説示に反する被告田町のこの点に関する主張は、全て理由がない。

3  続いて、原告の本件受傷内容及びその治療経過について判断する。

なお、被告田町は、原告主張の右各事実について争つている(不知と答弁。)が、反証の提出はない。

しかしながら、被告田町が右のとおり原告主張の右各事実を争つている以上、原告に右各事実の存在を証明する責任があるし、被告会社が原告の右主張内容に対する反証として提出した各証拠は、所謂証拠共通の原則に基づき、その内容が被告田町に影響を及ぼすときに限り同人の援用をまたずとも同人のために判断の資料とすることができると解するのが相当である。

よつて、以下、右見地に基づき、右判断を進める。

(一)  原告の本件受傷内容

(1) 成立に争いのない甲第一九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三号証の一、証人西元康の証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証の一、二、第六号証の三、四、証人増田重夫の証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証、右各証人の各供述及び弁論の全趣旨を総合すると、原告が本件事故直後診察を受けた西外科病院における診断受傷内容は、頭部外傷Ⅰ型、右下腿打撲創(なお、同人がその後治療を受けた増田整形外科における当初の診断名は、右下腿挫滅創。)、右下腿骨骨折であつたこと、しかし、頭部外傷Ⅰ型は、原告を診察した医師が問診の結果原告が本件事故の態様から極く軽い脳振盪を起こしたであろうと推定して診断したものであり、したがつて、原告の頭部に対する精密検査の結果ではないこと、右下腿骨骨折は、原告の右腓骨のやや上部、同人の右足膝下約一〇センチメートル付近の亀裂骨折であつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) ところで、原告は、右認定の受傷内容の外に同人の右腓骨神経麻痺も本件受傷内容の一つである旨主張している。

(a) しかして、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五号証、第六号証の一ないし五、第二五号証、証人増田重夫の証言により真正に成立したものと認められる甲第三〇号証、第三三号証の二、第三四、第三五号証、右証人の証言の一部、原告本人の供述によれば、一見原告の右主張事実が肯認できるかの如くである。

(b) しかしながら、

ⅰ 原告が本件事故直後診察を受けた西外科病院における診断内容、それに基づく原告の本件受傷内容、特に、右受傷内容の一つである右下腿骨骨折の部位程度等については、前記認定のとおりである。

ⅱ 前掲甲第一九号証、乙第六号証の四、第八号証、証人西元康の証言及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第六号証の一〇ないし一三、右証人の証言、証人増田重夫の証言の一部、鑑定人横山良樹の鑑定結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告の本件右下腿骨骨折の部位程度では、医学的にみて通常受傷後六から八週間で完治し、約二か月もあれば十分完治すること(なお、本件受傷内容の一つである右下腿打撲創は、本件治療中定期的な創処置を受け三週間以内で治癒している。)、原告を本件事故直後診察した西外科病院でも原告の右骨折を通院加療約一か月と診断していたこと、原告が右病院で本件事故当日施されたギプスシーネも、三週間程度で除去し得たこと、右骨折の右部位程度では、原告が自力で立つていることは可能であつたし、無理して歩行しようと思えばそれも可能であつたこと、原告が昭和五八年五月二日右病院へ入院したのも、同人の申し出、即ち、同人の住居が五階で通院が困難であるから入院させて欲しい旨の申し出によるものであつて、同人の本件症状からする緊急な入院措置ではなかつたこと、原告は、同月七日増田整形外科に転入院し、同年六月一三日右病院を退院したが、右退院日直前の同月九日の治療録(前掲乙第八号証)によれば、リハビリしてて調子良し近日退院とあり、原告の右病院入院期間中における看護記録(右同号証)によれば、「特訴なし」「特変なし」の記載が約六七回に及び、特に、右看護記録には同月八日午後八時三〇分外出より帰院し特変なしと、同月九日外泊し、翌一〇日帰院し特変なしと、同月一二日外出して午後五時三〇分特変なく帰院すと、各記載されていること、原告の右下腿部が本件事故による打撲を受けたことは前記のとおりであるが、右打撲により神経傷害を起こす可能性はあるが、その場合は右受傷直後より症状があり、又遅くてもその後二、三日以内に神経症状がでるものであること、又原告の右骨折による神経損傷の可能性もあるが、本件では、右骨折による骨片の解離もなく、西外科病院における初診時の記録には、知覚障害・足関節を背屈する筋肉低下等の神経症状が記載されてなく、又その後一週間しても神経症状が生じていないこと、腰部打撲による腓骨神経麻痺発生の可能性もあるが、その場合には、腰部に明確な症状が受傷時より存在しなければならないところ、本件においては、原告の初診時における腰痛の記録が全くないこと、増田整形外科における診療録(右同号証)には、昭和五八年五月七日の診断として、原告の右下腿外側上方に圧痛及び右下腿外側下二分の一から足関節の外側、足背の外側にかけてしびれがあると記載されているが、当該圧痛は、原告の右打撲あるいは右骨折によるものと考えるのが妥当であるし、当該しびれの範囲は、外側腓腹皮神経の一部と腓腹神経であるが、腓骨神経麻痺の特徴とされる足背(外側腓腹皮神経)と第一第二指間の部分(深腓骨神経)に知覚障害がないこと、右病院における入院看護記録(右同号証)にも、ギプス障害(一)しびれ(一)と記載されており、この時点で原告に腓骨神経麻痺はなかつたと考えるのが妥当であること、更に、増田整形外科におけるレントゲン写真も西外科病院におけるレントゲン写真と比較して変わりがないこと、右診療録(右同号証)にも、原告の腰部に関する記載は特になく、強いていうならば、腰部に青色で四角形に図示した部分があるが、これは、同年六月二日に施した湿布の部位で腰痛があつたものと推測されるところ、右腰痛は本件受傷後一か月以上経過して発症しているから、本件初診時からの症状といえないこと、本件鑑定の結果は、右各事実から本件初診時の受傷内容と原告主張の右腓骨神経麻痺との間に医学上因果関係の存在を認め難いと結論していることが、認められる。

ⅲ 右認定各事実に照らすと、本件事故と原告主張の右腓骨神経麻痺間の相当因果関係の存在については、末だ確信を抱くに至らず、むしろ、右認定各事実を総合すると、右両者間に法的にも相当因果関係は存在しないというのが相当である。

(c) 以上の認定説示から、原告の、同人における右腓骨神経麻痺も本件受傷内容の一つであるとの主張は、これを肯認することができない。

(二)  本件受傷の治療経過

(1) 原告の本件受傷内容については、前記認定説示のとおりである。

右認定説示及び後記認定説示からすれば、原告の本件事故と相当因果関係に立つ本件治療は、西外科病院における昭和五八年四月二九日から同年五月七日まで、増田整形外科における同年五月七日から同年六月三〇日までの各治療といわざるを得ない。

(2) しかして、前掲甲第三号証の一、乙第八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第六号証の六及び弁論の全趣旨によれば、原告の右各治療機関における各入通院とその期間が次のとおりであつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

西外科病院 昭和五八年四月二九日から同年五月一日まで通院(実治療日数二日)。

同年五月二日から同月七日まで入院(六日間)。

増田整形外科 昭和五八年五月七日から同年六月一三日まで入院(三八日間)

(3) なお、前記(一)(2)(b)ⅱの認定説示に基づけば、原告の本件受傷は、遅くとも昭和五八年六月三〇日に完治したと推認するのが相当である。

(ただ、前掲甲第四号証によれば、原告は、昭和五八年六月一四日から増田整形外科に通院していることが認められるが、右病院における同年六月三〇日までの実治療日数については、これを認めるに足りる証拠はない。そこで、前記認定にかかる同人の右病院退院時における本件症状から、同人は右期間二日に一回の割合で七日右病院へ通院したものと推認するのが相当である。)

4  原告の本件損害について判断する。

(一)  入院雑費 金三万八七〇〇円

原告が、昭和五八年五月二日から同年六月一三日まで合計四三日間、西外科病院及び増田整形外科に入院したことは、前記認定のとおりである。

弁論の全趣旨によれば、原告が右入院期間中雑費を支出したことが認められるところ、本件事故と相当因果関係に立つ損害(以下、本件損害という。)としての入院雑費は、原告の主張にしたがい、一日当たり金九〇〇円の割合で、合計金三万八七〇〇円と認める。

(二)  通院交通費 金四二〇〇円

原告の本件事故直後における受傷内容、同人のそれに基づく身体的状況、同人の本件治療としての通院が西外科病院における二日間、増田整形外科における七日間であること等は、前記認定のとおりである。

弁論の全趣旨によれば、原告が右通院に際し交通費を支払つたことが認められるところ、右認定各事実に基づけば、本件損害としての通院交通費は、一般公共交通機関を利用した一日当たり金六〇〇円(往復分)の割合で、合計金四二〇〇円と認める。

(三)  休業損害 金六四万二二二二円

(1) 原告の本件治療期間が昭和五八年四月二九日から同年六月三〇日までであること、同人の本件受傷が遅くとも同年六月三〇日に完治したものと推認するのが相当であることは、前記認定説示のとおりである。

(2) 原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第七号証の一、二、原告本人の右供述及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、本件事故当時、訴外駒姫交通株式会社タクシー運転手として勤務し、右事故直前の収入は、一日平均金一万〇一九四円(昭和五八年二月から同年四月までの支給金合計金六九万三一七九円、稼働日数合計六八日。)であつたこと、原告が本件治療期間である同年四月二九日から同年六月三〇日までの六三日間就労できなかつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) 右認定各事実を基礎として、原告における本件損害としての休業損害を算定すると、金六四万二二二二円となる。

1万0194円×63=64万2222円

(四)  慰謝料 金八二万円

原告の本件受傷内容、その治療期間は、前記認定のとおりである。

右認定事実によれば、同人の本件入通院慰謝料は、金八二万円が相当である。

(五)  以上の認定説示を総合すると、原告の本件損害の合計額は、金一五〇万五一二二円となる。

4  被告田町の抗弁について判断する。

(一)  成立に争いのない丙第一号証、被告田町本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、同人が西外科病院へ入院していた前記期間中、同人においてギプスを施されているので右病院のトイレを使えないと称して、被告田町に対して、用便のため自宅に帰りたいから送迎をしてくれと要求したこと、右病院から原告の自宅まで約一六キロメートルの距離があること、したがつて、右距離を往復すると、約一時間三〇分を要すること、被告田町は、原告の右要求にしたがい、右期間中毎日原告の送迎をしたこと、原告の自宅は、公団住宅五階にあり、エレベーターはなく、それ故、原告は、毎日ギプスをはめたまま右自宅までの急な階段を昇降したこと、右病院側でも原告の右行動を治療に差し障ると懸念していたことが認められ、右認定に反する原告本人の供述は、右各証拠と対比してにわかに信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  しかして、被告田町は、原告の右行動(治療態度)が同人の本件受傷を悪化させた旨主張するが、右主張事実を認めるに足りる的確な証拠がない。(右主張は、右悪化の具体的特定を欠くが、この点はさて置く。)

よつて、被告田町の右抗弁は、この点で理由がなく採用できない。

5(一)  ところで、原告が本件事故後被告らから本件損害に関し金三五二万円を受領したことは、原告において自認するところである。

(二)  そうすると、原告の右受領金金三五二万円は、本件損害の填補として、同人の右損害額から控除すべきである。

しかして、原告の本件損害の合計額が金一五〇万五一二二円であることは前記認定のとおりであるから、同人の右損害が右受領金によつて既に全額填補ずみであることは、右各金額の計数上の比較から明らかである。

6  以上の認定説示から、原告の被告田町に対する本件損害賠償請求権も、右損害の填補により全て消滅したというべきである。

三  結論

以上の全認定説示に基づき、原告の被告らに対する本訴各請求は、いずれも全て理由がないから、これらをいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鳥飼英助)

事故目録

一 日時 昭和五八年四月二九日午前一〇時五〇分頃

二 場所 神戸市灘区土山町一番先交差点(石屋川六甲線)

三 加害(被告)車 被告田町運転の普通乗用自動車

四 被害(原告)車 原告運転の原動機付自転車

五 事故の態様 被告車が本件交差点を右折した時、折から、右車両の対向車線を直進して来た原告車と衝突した。

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